猫沢エミ
ミュージシャン、文筆家、映画解説者。

Souvenir de confiture en France

〜ママンのコンフィチュール〜

フランスへ引っ越して、まだまもない頃。 友人・フレデリックの実家、南仏ペルピニャン近郊の小さな田舎町・カネに、幸運にも夏のヴァカンスへ招待された。燦々と降り注ぐ太陽、コバルトブルーの地中海…まさにそこは、映画に飛び込んだような夢の世界だった。  
彼の実家は、小さな戸建の一軒家で、庭にはこの地方らしいパエリア専用のガス台まであり、私たちは昼間から南仏の甘い白ワイン・ミュスカを空けて、料理上手な彼のママンの手料理に酔いしれた。ある日、「エミ、丘へコンフィチュールのフルーツを取りに行くよ!」と言われた。え?丘…?「そうだよ。うちのコンフィチュールはすべてママンの自家製で、果物も自生しているミルティーユ(ブルーベリー)やフランボワーズだ。」なんと!地中海を臨む小高い丘の頂上付近には、摘んでも摘んでも果てることがない南仏の豊かな果物たちが、私たちを待っていた。
ヴァカンス土産は、もちろんママンのコンフィチュール。彼女が逆にパリへ来る際には、かならずコンフィチュールを手土産にしてくれた。ふたを開けると、長期保存ができるよう、丁寧にロウを流して内蓋がしてある。
それからしばらくして、ママンが亡くなったことを知った。私は途方に暮れて、パリのマルシェで似たような自家製コンフィチュールを見つけるたび試してみるのだが、ママンの味とはぜんぜん違って、その違いが哀しくて泣いた。材料は果物と砂糖だけなのに。  
もう二度と食べることができない。その唯一無二のコンフィチュールは、ママンの愛と彼女自身の断片だったことを教えてくれた。

猫沢エミ
ミュージシャン、文筆家、映画解説者。2002年より渡仏。東京とパリを行き来しながら、フランス文化に特化した活動を幅広く展開する。音楽分野ではEmi Necozawa & Sphinx名義でのバンド活動のほか、映画音楽監督なども。著書『フランスの更紗手帖』ほか多数。