明治10年、 国産ジャム第1号はいちごジャム。

ジャムは、宣教師が16世紀後半にもたらしたと考えられます。 南蛮風を好んだ織田信長は、おそらく口にしたと想像されますが、記録は見つかっていません。 日本で初めてジャムをつくったのは、明治10年、東京の新宿にあった勧農局で、そのいちごジャムを試売したそうです。 企業としての始まりは、その4年後、1881年(明治14年)のことで、長野県人により缶詰のいちごジャムがつくられました。 以来、長野県はジャムづくりが盛んになりました。

夏みかんの原木は天然記念物!

日本には、いちごが5種類ほど自生していて、清少納言が「枕草子」で、色彩の感覚としてとりあげていますが、観賞用の植木としてあったにすぎません。 開国後オランダ人がいちごをもたらし、明治に入ると輸入されるようにもなり、国内で広く栽培されるようになったため、いちご=オランダいちごといわれています。 あんずは、1620年頃(元和年間)、伊予宇和島(愛媛県)の伊達家から輿入れした信濃松代(長野県)藩主真田幸道夫人が、故郷の春を懐かしんで宇和島から取り寄せた苗木を、現在の更埴市森村に植えたのに始まるといわれています。 マーマレードになる夏みかんは、山口県青海島の海岸に漂着したものを、娘さんが拾い種子を蒔いて育てたもので、原木は天然記念物に指定されています。

パン食の普及とともに需要拡大

ジャムの普及発達に欠かせないパンは、西南戦争の軍用食として登場。 大正時代にパンとジャムが国民に普及していきました。 夏目漱石の「吾輩は猫である」の中で、苦沙弥先生が、“俺はジャムは毎日舐めるが…”と言っていますが、漱石は、パンには砂糖をぬっていたということです。 森鴎外も好きだったようで、ヨーロッパに留学した学者たちは、そのおいしさにヨーロッパ文化を投影して味わっていたのでしょう。 戦後、学校給食のパン食で、学童がジャムに親しんで成長してきたこと、洋風化志向となったこと、ジャムメーカーのたゆまざる努力によって価格と品質が消費者に受け入れられるようになりました。 今日ではますますジャムの需要が増え、国産ジャムの割合が85%(2008年実績88.8%)前後となっています。

より一層増える、新しいジャムの選択肢。

最近では、糖分を少なくして、果実分を多くした糖度の低いジャムや、低カロリー、虫歯になりにくいものなど、さまざまな嗜好に対応し、糖類も果実等の種類、糖度、機能に応じてブレンドしたりと、消費者のみなさんの選択の場が拡がりました。 また、いちごジャム、オレンジマーマレードといった定番のみならず、ブルーベリー、ラズベリーといった美しい色で野性味のあるベリー類も好まれるようになり、一層バリエーションに富んだ商品がラインナップされています。 用途も、ヨーグルトやアイスクリームにかけたり、料理のソースや隠し味として使用したりと、多様化しています。



日本ジャム工業組合
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参照元:「ジャムのお国ぶり」